2021/12/26朝日新聞東京版に掲載されました


今年も12月31日まで店を開け続ける。東京に出稼ぎに出た父親が年末ぎりぎりまで働き、子どもに時計を買って故郷へ帰っていく――。そんな年の瀬の風習を長年見届けてきた職人としてのこだわりだ。

 練馬区石神井に富谷文則さん(76)が時計店を構えて、45年になる。3メートル四方の狭い店内。壁時計が一斉に鳴り、正午を告げた。「電波時計だからずれることはないよ。つまんないねぇ」。そんなぼやきを聞いた跡取り息子の健司さん(49)がすかさず、「アナログ人間だなぁ」。

 文則さんは18歳の時、青森県から集団就職で上京。吉祥寺の時計店で修理の腕を磨き、31歳で独立した。ゼンマイで動く機械式から、電池で動くクオーツ式が普及した時代。「すごい技術だ」と思ったが、今では1千~2千円の安価な時計があふれ、樹脂などで覆われて修理ができないものも多くなった。「寂しいよ。最初から使い捨てが前提っていうのはさ」

 近隣に5、6軒あった時計の修理店は一つになり、全国的にも減っている。「父親にもらった時計を、息子の就職祝いにしたい」「祖父の形見を直して欲しい」。遠方からの修理依頼が年々増えてきた。

 店内の壁には修理道具、棚には部品が入った小箱が並ぶ。手のひらに載せた腕時計の裏ぶたを開き、数ミリの歯車をピンセットではめ込む。チッ、チッ、チッ。規則正しくリズムを刻み始めた。

 修理を終えると、裏ぶたの内側に記録を残すのが業界のしきたり。年代物の時計には、何人もの職人の名前がしるされているのだという。文則さんは、修理した日付と店の名前を、工具の針で刻み込む。

 「ゼンマイを巻く、時間を合わせる、壊れたら修理する。そうやって、時計に命を吹き込むんだ」。時計を介して、持ち主とともに人生を歩む。そんな仕事だ。(武田啓亮)


掲載の経緯とその後のお話  2022.1/19

2021.12/22

新聞掲載のキッカケは電話でした。12/22の午前中に朝日新聞の記者さんからの電話

朝日新聞東京版企画2021 Tokyoを 記録する」において貴店を取材したい』とのお申し出

最初はなんだか詐欺的なモノ?(以前にネット広告費用を請求する業者さんから連絡あったことがありました)と疑って話を聞いていましたが、会話しているうちに非常に真摯にお仕事されている方との印象に気持ちが変化し、取材のお申込みを受けさせてもらいました

私:「ではいつにしますか?」

記者さん:「明日はいかがでしょうか?」

私:「あ・あしたですか・・・」流石仕事が早い。

心の準備をしても特に何か変わるわけでもないと思いましたので、翌12/23の取材となりました。

12/23

記者さんが来店し、質問されて答える形で取材が始まりましたが、「取材」って感じはあまりなく、お客さんとの会話に近い感じで、「さすがプロの記者さんの言葉引き出す力はすごいなぁ」と感心しきりでした。

父や私の生い立ち、時計屋さんの歴史、周辺・お客様・購買環境・売上比率の変化などお話は多岐に渡りましたが、常にメモをしつつの会話でした。

かなり大きなカメラを持って、腕には腕章、「記者」の装いです。

記者さんが当店を知ったキッカケはホームページ、内容は薄いながらもホームページを読み込んでいただいたようで、話は盛り上がり、1時間以上会話していました。

取材が終わったあと、父と「こんなこと(全国紙新聞取材)がこんなに小さく、駅からも近くない当店でされるってなぁ」と喜びあっていました。私は心のどこかで「あまり面白くもないネタだから、せっかく来てくれたのにボツになっちゃうんじゃないかな?記者さんに無駄足踏ませて申し訳ないなぁ」と悪いことばっかり考えていました。

 

12/25

記者さんからお電話「追加で写真を撮りたい」とお申し出あり。再来店し、数枚の写真撮影と追加の取材ありました。追加撮影した写真は紙面掲載されたものでした。ネガティブ思考な私でも「追加取材するってことは、記事にはなるな」とはっきりしたのでホッとしました。記者さんに「掲載いつごろでしょうかね」と聞いた所、「大きいニュースが入らなければ明日です」「あ!あした~」と狼狽していました。

 記事書いていただいた武田記者さんとも記念写真撮りました。

 

12/26

記事が掲載されると伝えられていた日曜日は、当店定休日です。

普段はややゆっくり起床します、ですがなんだか興奮していたのでしょうか?AM5:30には起きてしまい、2度寝しようにも出来ず、AM6:00には近くのコンビニに新聞購入しに行っていました。一部を購入し店舗内で立ち読みしたら、記事が載っています。「うわー載っている」と困惑していました。その店舗で販売していた残りの朝日新聞2部も購入してしまいました。

家で読んでみるとなんだかホッコリする文章で、「さすが記者さんキレイな文章だなぁ」「ありがたい限りだなぁ」と思っていました。

当店が新聞掲載だなんて今後無いだろうし、親戚にも配ろうと書類作成したり、年賀状にも一文添えてアピールしてしまおうと作業したり、掲載当日はほとんどの時間パソコン作業していました。

ブログの反響もすごくアクセス数など過去に見たことも無い数値となっていました。(と言ってもベースが低いので偉そうな話ではありませんが・・・)

 12/26以降

掲載直後は「問い合わせメール」「問い合わせお電話」「新聞載ってたね~良かったね~、おめでとう」の激励のお電話や、お客様が連続して来店し、数日ですが「行列の出来る時計屋さん」になりました。来店されたお客様に対して出来ることは「受付」する程度で、お預かりして後日連絡するお約束することくらいでした。

父と私の時計屋さん人生でこれほど強烈に忙しい日々は無かったと思います。直接「昨日の新聞出てたね~。すごいね~」と言って頂くお客様も複数人、来店くださり、ありがたい限りです。

 新聞のパワーを思い知らされる日々になりました

都内各所からお客様のご来店がありました

新宿・世田谷・日暮里・青梅・木場・立川・西東京・小平・墨田・江東・府中・島しょ

多くのお客様と接していて感じることは「時計屋さんを探している」方がほとんどで、今回の記事をきっかけに「直せるか聞いてみよう」と行動に移してくれたようです。

 

 「以前断られた」「諦めていた」「思い出深く処分出来ない」「機会があったら何とかしたい」「大切なものなので信頼できそうな所を探していた」「おたく(当店)で無理なら諦めることが出来る」等々非常にありがたいお言葉の数々に恐縮しております。今回のご依頼品は修理自体のハードル(経年劣化・部品入手困難)が高いモノも多く、またメーカーさんで断られたお品物も諦めきれずにご持参頂くこともありました。

残念ながら「修理自体施すこと出来ず」「お客様予算との乖離発生」と返却のお品物もありました。

 

折角の機会ですので印刷したものをお客様にお渡ししています。

私自身の持っていた『新聞』の価値観が今回の経験で真逆になりました。

折角のご縁、大切なお品物を任せて頂けることに感謝し、これからもひとつひとつ丁寧に作業していこうと思います